アイウェアブランド FACTORY900(ファクトリーキュウヒャク)の直営店 FACTORY900 TOKYO BASE(東京・原宿)にて、開店2周年を記念したトークショーが2月11日(土)に開催された。
今回のトークショーは、FACTORY900 の基礎を築いた青山眼鏡株式会社の会長 青山恭也氏とデザイナー 青山嘉道氏との初の親子対談。会場を埋め尽くしたファンたちは、ここでしか聞けない親子の貴重なトークに耳を傾けていた。
青山恭也氏(左)と青山嘉道氏(右)。
司会者
「ファンの方にとってもちろんのこと、青山眼鏡にとっても特別な日ということで、本日は『特別トークショー』を企画いたしました。”メガネ界のアカデミー賞”SILMO D'OR(シルモドール)を2度、2013年と2015年に受賞したアイウェアブランド FACTORY900 の基礎を作られました青山眼鏡株式会社会長の青山恭也さん、そしてデザイナーの青山嘉道さん、初の親子対談です。」
And the winner for the special reward from the jury is #Factory900 with “FA-087”, CONGRATS ! #SilmoParis pic.twitter.com/GSpofYxlrI
— Silmo Paris (@silmoparis) 2015年9月25日
司会者
「会長の青山恭也さんは現在77歳。今から56年前、大学を卒業後に青山眼鏡へ入社。そこから2代目として FACTORY900 のメガネ作りの仕組みを作り上げた方なんです。まず、FACTORY900 の肝となるメガネ作りの仕組みをどう作り上げたのか?について、恭也さんからうかがっていきたいと思います。」
青山眼鏡株式会社 会長 青山恭也氏(以下、恭也)
「大学は当時、東京・神田にあった東京電機大学に行くんですけどね。学生時代はあんまり勉強せんと、学校帰りに秋葉原や交通博物館に立ち寄ったりしていました。今思うと、小学校の頃からラジオ少年みたいな感じでした。」
青山眼鏡株式会社 デザイナー 青山嘉道氏(以下、嘉道)
「ウチの母親から聞くと、小学校の頃に作った工作を先生が気に入って持って帰っちゃうみたいな……なんかそういう器用な方だったんです。」
恭也
「工場ですから、旋盤とかフライス盤とか、そういうものが家にあったんですわ。小学校の頃、夏休みの宿題で木工がありまして、お花を生ける花台をフライス盤で削って作ったんですね。それを先生が気に入って持って帰っちゃったことはありました……確かに。」
司会者
「そこからメガネの道へ行くというのは?」
恭也
「ひとり息子ですから、大学を卒業したら当然田舎に帰るもんやと思って、大学へ行ってても勉強せんとフラフラしてたという感じですね。学生の頃、いちばん良かったなあと思うのは、大学があったのが神田でしたから、江戸文化がスゴく身近にあって……歌舞伎とか文楽とか落語とかね。好きやった三味線を習ったり、まあいろいろやって、文化的なものがスゴく実ったなあという感じはします。それで大学出てね、もうすぐ田舎……福井に戻って、メガネ手伝ったんですけど……。」
嘉道
「世代的には、たぶんデジタルとアナログの中間世代というか、世の中がデジタルに切り替わっていく時代を過ごしてきた方なんで……。」
恭也
「ウチの親父のやった仕事の跡が、工場の中に色々ありましたわ。『やっぱり親父はスゴいなあ!』と思ってました。というのも、当時フレームの素材だったセルロイドは、値段がものすごく高かったんですね。材料がものすごく高くて、人件費が安い時代でした。だから、いかに材料をムダなくメガネするか?という風に、親父の時代はやってたんですね。その後、材料は安くなって、今度は人件費がだんだん高くなる時代になってきて……当然作り方は変わりますわね。私がメガネに入ってきたのは、その時代でした。」
恭也
「昭和44年でしたかね、大阪へ工業機械の展示会を見に行ったとき、NCフライス盤が展示されてましてね。その機械で削った面がスゴくきれいだったのを見て、これは使わなあかんなってことで。本当にもうムチャクチャですけども……」
嘉道
「メガネの専用機を作ったんですよね?当時、周りの人からすると、メガネ1個作るのにウン千万もする機械を導入するっていうのは、もうバカにしか見えないっていうか……」(会場に笑い)
恭也
「ホントにバカでしたね。」(会場に笑い)
司会者
「コンピューターを採り入れたのも先駆け的な感じだったんですよね?」
恭也
「NCでモノを削ろうっていうと、どうしてもNCのプログラムをせないかん。最初は、計算センターっていうところに持ち込んで、プログラム計算をしてもらってました。その後、パソコンを手に入れましたが、当時のものは計算も動きも遅くって……。今現在は、マシニングセンターという機械でメガネ作りをやってます。」
嘉道
「今ウチで使っているマシニングセンターっていうのは、X、Y、Z、あっち側とこっち側の回転軸の5軸が付いてる汎用機です。5軸で削ることによってスゴく立体的な製作も可能になるんです。そのプログラミングを全部ウチの兄貴っていうか社長とウチの親父とが一生懸命やっていく感じですよね。ウチはかなり特殊な作り方をしていて、それをどこも真似ができないっていうのは、親父と兄貴がウチの技術の中枢を担ってるからこそなんです。」
司会者
「OEMから始まって、その後オリジナルブランド『ゼルフ』を立ち上げるに至ったのは、どんな思いだったのでしょうか?」
恭也
「やっぱりOEMっていうのは、受注を取って、作って、納めるっていう……だから、注文が入らないとパタッといっちゃうっていうね。これを少し安定させなあかんなあっていう感じで、自社ブランドを立ち上げようってことだったんですけどね。」
司会者
「その時は周囲からの反対とかは?」
恭也
「反対はなかったんだけど、やっぱり売っていくっていうのは大変でして……。しかも、ブランドを立ち上げたときがちょうどセルからメタルへ流行が変わるような時期だったもんですから、もうセルを買う小売屋さんがほとんどなくなっちゃってね……」
嘉道
「昔って、スゴく流行っていうものが、メガネの世界では本当に強くって……。例えば、黒のセルフレームが売れてるってなったら、もう茶色のセルフレームなんて誰も買わないんですよ。もう、店にあるのが全部黒みたいな……。そんな時代が変わってメタルになって、そのあとはふちなしってなってくると、もう(青山眼鏡のような)セルフレーム屋さんっていうのは、もう全然売れなくなるので、作ってもどうにもならんっていう……。しかも、販売力もなければブランド力もない『ゼルフ』みたいなものが長続きするはずがない。」(会場に笑い)
司会者
「それが35年くらい前で、そこから FACTORY900 になるまでには10年くらいですか?」
嘉道
「そうですね。僕は子どもの時代に苦しい状態をよーく見ていたので……いいときと悪いとき、まるでジェットコースターのような感じ?それは僕にとってはいいお手本っていうか、反面教師にスゴくなってて。ああいう失敗はしないっていうのが、やっぱり前提にありますよね。」
司会者
「でも、目の前にいるお父様をスゴく尊敬されていて、天才だと思うっておっしゃってますよね?」
嘉道
「僕はいろんな人に会ってますけど、天才と言える人にはなかなか会えないというか……やっぱり身近にこういう天才と言える人がいるっていうのは大きいですよね。」
司会者
「じゃあ、もう早かったですか?メガネのデザイナーになるっていう思いは……」
嘉道
「いやいやいや!……うん、まあ、そうですね。」
(会場に笑い)
嘉道
「これには思い出話があって、僕が子どもの頃に、口が酸っぱくなるくらいにウチの親父が言うわけです。『自分は世界一のメガネを作るんだ!もう夢なんだ!』と。それが(メガネのデザイナーになる)プロポーズのことばだったみたいな……。」
司会者
「へーっ!」
嘉道
「当時、子どもなりに見てたんですけど、やっぱりウチの親父はスゴいけど商売が下手っていう。でも、ウチの親父は酔っ払って帰ってくると、『俺の親父が礎を作り、会社を作り、自分の代で技術というベースを作り、お前たちの代でそれを世界に持っていくんだ!』みたいなことを僕にスゴく言ってたんですよね。僕はその頃、会社の状態が悪いときばかり見ていたので、あんまりいい印象は持ってなかったんですけど、フタを開けてみたら、いつのまにかこうなってるっていう……。SILMO D'OR(シルモドール)っていうのは、『世界一のメガネを作るんだ!』って言ってるウチの親父にどうしても親孝行したくて……何かの形にしたくって。それで、SILMO D'OR(シルモドール)を獲れたときは、(授賞式がおこなわれていた)パリから真っ先に電話したんですね。」
司会者
「その時、お父様は何と?」
嘉道
「(電話に)出なかった……。時差があって、朝早かった……。」(会場に笑い)
司会者
「SILMO D'OR(シルモドール)を受賞されたことを聞いて、お父様はどんな感情がわき上がりましたか?」
恭也
「やっぱり、『もう引退できるな』って感じでした(笑)。」
司会者
「引退したかったですか?」
恭也
「そうやね……どう言ったらいいんかね?まあ、やっと少し荷が下りたかなあ……って感じはしましたね。」
司会者
「普段お二人でそういうお話しをする機会はないと思うんですけど、どうなんですか?お二人でお酒を飲んだりするんですか?」
嘉道
「あんまりないっすね……。お酒は好きでよく飲むほうなんですけど、仕事柄ずっと一緒なんで……。デザイナーと設計っていうのは、基本的にけんかになるんですね。いいモノを作ろうとしたら、けんかにしかならないので。けんかするほどいいモノができるっていうか……。もっとこうしたい、ああしたい、だけど現実はこうだっていうところのせめぎ合いになってくるわけで……。普段がそういう関係で、ちょっとホントに難しい……(笑)」
司会者
「トークショーも終盤にさしかかってきたところで、メガネ産地である福井県の歴史の中で、青山眼鏡のスゴいところをちょこっとだけお話しいただけますか?」
嘉道
「メガネの産地として知られている鯖江で、メガネ作りを最初に始めたのは増永眼鏡さんと言われてるんですけど、青山家の口伝では、『青山が早かった』と。『青山が一番だ』と。」(会場に笑い)
嘉道
「ちなみに、(鯖江のメガネ作りの始祖とされる)増永五左ヱ門さんのお母さまは青山から行っていて、ひいじいさんの青山彦左衛門さんと増永五左ヱ門は従兄弟関係なんですけど、その青山彦左衛門さんが早かったんだよね?」
恭也
「うん。」(会場に笑い)
嘉道
「そう伝わってるっていうか、あくまで口伝なのでね……。」
恭也
「だけど、途中でやめたからね。」
嘉道
「4年くらいしか続かなかったみたいで……。というのも、当時、東京から引っ張ってきた職人さんが、あんまり仕事しなかった……」(会場に笑い)
恭也
「……って聞いてます。」
嘉道
「それと、鯖江の河和田の郵便局長になるよう求められたという事情もあったらしく、機材や人を全部増永さんに預けて、メガネ作りを1回やめたんです。その後、ウチのじいさんが増永さんへ修行に行って、自分の親が途中でやめたことを始めた……って話ですよね?」
恭也
「そうそうそう。」
嘉道
「それで、独立して青山眼鏡を作ったと。それが80年前。スゴく歴史があるというか、変わった血統ですよね。」
司会者
「『本当になるべくしてなる道が決まっていたんだなあ……』ということは、お分かりいただけたと思います。ですが、歴史を本当にひもといてしまうと時間が足りないので、ザックリで終わります……。会場のみなさん、せっかくの機会なので、何か質問はありませんか?」
質問者
「デザイナーと設計はせめぎ合いっていうお話をしてましたよね?三代目(嘉道氏)は、デザインするときに技術者泣かせのモノをわざと作ろうってことは考えたりしませんか?」
嘉道
「というより、やっぱり僕も工場の内部にいる人間なので、何をどう作るとこうなるっていう仕組みは分かるんです。ただ、それを実際に具現化するのと、頭で『こうやりゃあできるんじゃねぇのか?』って考えるのは、だいぶ差があるんですね。ウチの親父は、その差を縮めてくれて、ホントにその差をなくしてくれて、ホントに具現化してしまう方なので……。だから、もちろん『泣かせ』みたいなものもやるんです。僕もやっぱりスゴく知っちゃってる以上、単純にヘンテコなモノは作れないっていうか。言えばなんとかしてくれるんですけど……。」(会場に笑い)
質問者
「結局、それが技術の向上につながるっていう……」
嘉道
「ですよね。うん。」
質問者
「それが今まで達成できて、いろんなメガネのスタイルを構築してきた……」
嘉道
「そうです。というより、僕はむしろ、その技術を活かす絵を描いてるつもりなんです、どちらかというと。青山眼鏡がOEMで培ってきたものは、まさにそんな技術で……ウチは『技術の駆け込み寺』みたいな感じですかね。『あっちの工場で無理。こっちの工場で無理。しょうがない、青山に行く。』みたいな。ウチの会長は、来たものに対して断らない人なんです。まず断るんじゃなくて、『どうやってこれを解決するか?』を考えるタイプの人間なんです。普通は『これはやったことないからできない。』『お金がかかるから無理。』とか、理由をなんとかかんとか付けてやらないほうに持っていくんだけど、ウチは逆で、お金はあんまり関係なくて、『できるか?できないか?いや、絶対できる!」って考えます。『そのためにはこれが必要』って全部買ってきたり、作ってしまったりして、解決の仕方が何かスゴいんですよね。」
恭也
「やっぱりなんていうんだろう?変なものはおもしろいんですよ。変なものだと、『おもしろい!これはなんとか!』という風になっちゃうのね。だから、『これを作るには、あれがこれが……』ってなっちゃうと何でも買っちゃうから……大変よね。」(会場に笑い)
質問者
「『変なものはおもしろい』っていうことで、2020年の東京オリンピックに向けて、何か企画を考えてるんですか?」
恭也
「いや、何も……」(会場に笑い)
質問者
「何か考えましょうよ!」
嘉道
「そうですね!オリンピックに向けてね!(FACTORY900 TOKYO BASE 店長の)長谷川さん、よろしくお願いします!」(会場に笑い)
司会者
「先ほど、『引退できるなあ』っておっしゃってましたけど、『今でもモノを作るのがとても楽しい』とおっしゃってましたし……」
恭也
「そうですね。」
司会者
「ということは、引退はまだまだ先なんじゃないかなあと……」
嘉道
「引退はしないと思いますね。」
恭也
「そうやね。」(会場に笑い)
嘉道
「『生涯現役』っていうのは、まさにこういう感じだし。実際、今辞められるとホントにウチは戦力ダウン、大幅ダウンになるので、こればっかりはちょっと……。まだ、こき使おうと、僕は……」(会場に笑い)
司会者
「78歳になられても、それだけみなさんに必要とされているのは、やっぱり素晴らしいことですよね?」
恭也
「やっぱ、『健康でないとあかんなあ』と思ってますね。」
司会者
「じゃあ、いちばん健康に気を遣ってらっしゃいますか?」
恭也
「まあ、そんなには……」(会場に笑い)
恭也
「『これはやっぱり先祖のおかげやなあ』と思って、感謝はしてます。」
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▼スタッフ松本の 青山眼鏡考察 | Staff's Note | Special | FACTORY900 (ファクトリー900)
「TOKYO BASEで働き始める少し前、研修を受けるために、わたしは初めて青山眼鏡を訪れた。デザイナーの2人から直接、青山眼鏡の歴史、ブランドの成り立ち、大切にしていること、ゆずれないこと、未来のことなど、たくさんの話を聴いた。」
▼ CORPORATE PROFILE | 増永眼鏡株式会社(福井県福井市 眼鏡フレーム製造・販売)
「増永五左ヱ門、大阪より眼鏡職人を招聘し、福井県足羽郡麻生津村字生野(現福井市生野町)にて福井眼鏡界がはじまる。」